つれづれに
 

2000.1.〜2000.8


8月30(月)
地平線は確かにカーブを描き、遥か彼方に幻を見るように船が浮かぶ。
誰もいない砂浜にかもめが1羽、微動だにしない。
幾分弱まった陽射しとはいえ磯の香りを含んだ潮風がじりじりする肌を沈める。
そう、今年は一度も海水浴に来なかった。
「さぁこれからひと泳ぎ」といいたいところ。

ここは太平洋に一番近い苫小牧の露天風呂。
海に入っているのか温泉に入っているのか・・・。 ぼぉっと海を眺め時間が過ぎていく。

しけの時は荒波が露天風呂に押し寄せて来るかも知れない。
朝日を見ながら入るのもいい。
贅沢な命の洗濯をして、また明日から頑張ろうという気になる。

今度は違う海の色を見にこよう。


8月28(月)
 気にしつつもご無沙汰です。

虫の声が夏の終わりを告げていても、「ちょっとぼんやりしてしまった」と言ったかどうか。
羽根がちぎれそうになりながらもアゲハチョウがふわふわ。
最後の声を振り絞って蝉が鳴き、トンボだって確実に元気がなくなっている。
洗濯干しの手を休め、ふと見上げた今日の空は鱗雲がいっぱいに広がり間違いなく秋色。

こんなに暑い日なんてもうないかもね。
行く夏を惜しみながら、全ての窓を全開にして夏を取り込んで、 いろんなことがあった夏だなぁ〜と思う。

いいな、いいな、こんな事があるなんてと思いながら「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み進む。
9と3/4番線から紅色の汽車で魔法学校に旅立っていったハリー。
教科書は「基本呪文集」「魔法史」「魔法論」「変身術入門」「魔法薬調合法」。
日刊予言者新聞はふくろうが配達して、クィディッチはほうきに乗ってする魔法族のサッカー。
目の前にその場面がはっきり見え夢があって、大人でも楽しめる。この秋の1冊になりそう。

こんな時間になると涼しさを通り越して肌寒くなってきた。全部窓を閉めて寝るとしよう。


8月5(土)
「サドルはこの位で。ここに切り換えがあるから」日焼けした係りの人は、
さあぁ行ってらっしゃいと送り出してくれた。
以前はこうして風の音を聞きながら走った。その感覚がすぐよみがえる。

でも今は風を切るだけでなく、雲を映す湖と潮の香り、草花の息づかいも、
全部受け止められる素晴らしいところにいる。
サロマ湖とオホーツク海を分ける砂州、幅500mほどの細長い大地。
そんなワッカ原生花園を走る。
ハマナスが実を付け始め、カワラナデシコの赤、ツリガネニンジンの紫、
ウメバチソウの白、カワラマツバの黄と夏の花と秋の花が咲き乱れる。
花たちはやさしく揺らいでいる。その中に身を置く幸せ。もう最高!!

小さな橋をわたる頃にわか雨になる。花の聖水ワッカの水がわき出るあずま屋で雨宿り。
口に含んだ水はまろやかで体中にしみわたる。
雨が上がり、太陽が顔を出しオホーツク海がもとのぎらぎらと光る海に変わる。

いつまでも、やさしい草花に抱かれ移り変わる風の中に居たい。
あ〜こんなところに住んでみたぁ〜い。

またはじまった。


7月23(日)
一日中雨。

からっと晴れ上がった沖縄。
沖縄サミットが終わった。
こんなに長い時間沖縄のことをテレビで見たことがなかった。
同じ日本でありながら、 特に北海道に住んでる身として本当に日本なんだろうかと思うほど異質に思える。
もちろん激戦地であったこと、72年に返還されても尚、基地のある街としいて重い問題を抱えている。
沖縄を思うときどうしても避けて通ることができない。
紅型、海、空、南国のまばゆいばかりの色彩に少し救われる気がする。

家人1、「騒音ではなくあれは爆音だ。行かなければ判らない予想以上のもの」
家人3、「とにかくカァッと暑いんだわぁ、雪がないということは悩みの半分は解消できてるね」

まだ行ったことのない身としては「いきたぁ〜い!」密かに、行ってエイサーを踊ってやるぅ。
もうテレビの前で手はエイサーになっているのです。


7月9(日)
青空のもと心地よい風が吹き抜ける。
そんな江別の街に、遊牧民の伝統楽器、馬頭琴の伸びやかな音色と口琴、
何とも不思議な喉歌が流れる。
嵯峨治彦さんの喉歌を一度聞きたいと思っていた。
喉歌は一人の人が同時に複数の音を喉で奏でる。

「どうして同時にできるの、えぇ」という感じ。
口琴はムックリに似たものでとても広がりがある。
福井岳郎さんとのチャランゴのセッションがいい。
北海道の自然にとてもマッチした音色だと思う。

江別焼き物市も今年で11回目。
この器にはこんな物が合うだろうなと思いながら見るのが楽しい。
是非使ってみたい。買いたい。と思うものと目が合うとツイということになる。
チャリティーオークションで競り落とせなかった悔いは残るけど、楽しく歩き回った一日。


6月27(火)
久々の本格的な雨。
そんな雨の中、哀しみの美少女「フワニータちゃん」にご対面。
ペルー(アンパト山)で1995年標高6千メートルの氷の中から発見された。
その当時12、3才。いけにえとして神に捧げられたらしい。

暗くて寒い展示場にひざを抱えるように前を向き顔を上げ座っている。
黒い髪が背中に張り付き、しっかりと健康そうな肩や腕がそれと判る。
今にもひざの毛布を取って起きあがり「同じ姿勢も疲れるものよ」と言いそうな。
フワニータちゃんと目が合うと、特に悲しげでもなく全てを理解したように見えた。
どんな思いでいけにえになったのか、思いめぐらせてしまう。
いけにえとして、とても大事に育てられ幸せだったらしいと聞いて、少し心安らぐ。

乾燥したミイラではなく凍結状態で発見されたため、皮膚があり顎にはシワまで刻まれている。
DNA鑑定で原住民の祖先であるかどうかも判るらしい。
それにしても金属製品や織物、染め、刺繍など今見てもとても斬新。
アンデスの人々の感性は現在も確実に脈々と受け継がれている感じがする。

そんな「フワニータちゃん」はるばる日本まで来てびっくり、言葉もないという感じか。
じっさいに文字はなかったようです。
「そっとしておいて。騒がしくて寝不足なのよ、フワニータ」
500年以上寝ていても寝だめはできないのですね〜。


6月20(火)
さて今日は何のゴミを出すのやら。
ゴミ収集カレンダーなるものを見て資源ゴミを間違わないように出す。 おっと! ゴミではなく資源物。
缶(アルミ・スチール)、ガラス瓶、PETボトル、紙パックの4種類に分類する。
キヤップをはずしたり、中を洗ったりと手間のかかることだと思いつつ・・。

環境破壊!きれいなままの地球で次世代に引き継がれるべきなのだから。
何でそうなるのと思うほどゴミの問題はいろんな問題を一緒に抱え込んでいる。

江別市リサイクルセンターが「容器包装リサイクル法」に基づいて4月から稼働した。
収集された資源ゴミがコンベアーに乗ってくる。
キヤップをはずしたり、ラベルを破がしたり、資源以外のスプレー缶、油のボトルなどが取り除かれる。
それらは人の手によって行われることを市民は知っているのだろうか。
「せめて決められたとおりに出せばいいことなのに」ため息が出る。
果ては自分たちの身にふりかかること。

頭の中は、あれもそろそろ処分したいし、これも捨てよう、すっきりしたらもう物を買うのは止めよう。
「経済の停滞なんて知ったこっちゃない」そう決意しながらも少々足取りが重いのは何故。

過剰包装お断り。
ゴミになるような物は「持ち込まず」「使わず」「作らず」
まるで何とかの3原則と同じ
宣言をしても迫力なし。
ゴミ問題は寒いとき考えるべき。この暑さななあに。地球温暖化なの。


6月5(月)
換気口でスズメがひりひり鳴く。
鳴きだして1週間ほどになるが、親鳥は忙しい。
空をかすめるカラスを警戒し、探しあてた餌をフェイントをかけながら換気口へ運ぶ。
餌が足りないのかやってもやってもよく鳴く。
換気口の中だから決して雛をカラスに捕られることはないが執拗に親鳥は追いかけ回される。

以前インコの雛を育てたことがある。
細々と哀れな産毛の雛が巣箱から顔を出し、親鳥の遊んでいるすきに誘拐を企てた。
冷めた餌ではダメだと判るまで随分時間がかかったが、3時間おきにすり餌を与えた。
餌を欲しがる仕草が何とも愛らしく、鳴きながら待っていると思うと何をさておいてもとんで家に帰った。
一気に子供が3人増えたように。

いつものように床の上で遊ばせていると突然スキップのようなジャンプを始めた。
歩いてはその場で10p程飛び上がるという妙な動作が2、3日続いた。
椅子の上に置いてあげると何度も何度も下を覗き込む。意を決したように飛び降りた。
覗き込まなくても飛べるようになると、今度は床から椅子に飛び移る。
飛び始めは羽ばたきがゆっくりで失速するかとハラハラする。
不思議にそのころ3羽共、これが獣の臭いかと思われる何とも生臭い臭いに替わった。

「たぼちゃん」は、クラシック音楽が大好きで、誰がおしゃべりしているのかと振り返るほどぶつぶつ言っていた。
「一休」は、品があって自分の名前を一番に言えたお利口さん。
「ちびちゃん」は、甘えん坊で呼ぶとすぐ鳴きながら飛んできて手のひらにとまった。
今はもうみんな庭の木の下に眠っている。 家族のいろんな感情をよく受け止めてくれたと感謝している。

換気口の雛たちはどんな子に成長するのだろうか。
巣立ちの日が楽しみだ。「早く見てごらん外の景色を」。


5月27(土)
確かに今月は遊びまくって、お花見三昧。
連休と一週おいて次の週と道南に縁付いて桜、桜。頭の中は桜色。
松前の桜も、森町の桜もお見事。
でも何といっても、地ビールの美味しいこと。旅の楽しみが倍増。

遊びほうけているうちに、いろんな事件が起きて世の中はいったいどうなっているの。
中でも10代の少年犯罪が多発。学校が悪い、家庭が悪い、社会が、誰が悪いとばかりは言ってられない。
手始めに大人がもっと真剣にゆっくり生きること。それにつきると思うけど。
こんなたいそうなことを言える柄ではなかったと、我が身を振り返って気づくのです。

5月のさわやかな風は誰のもとにも吹いています。


4月30(日)
朝、新聞を見てびっくり。オホーツク海側大雪、網走57センチ。
昨日は確かに寒かったけれど春の大雪にはオホーツクの皆様大変だったでしょうね。
そして今日はポカポカ陽気につられて洗車とワックスがけ。お恥ずかしながら雪が溶けて始めてのこと。
悔やまれます、こまめじゃなかったことが。
滑り止めに蒔く塩カルのせいでしょうか茶色の斑点だらけ。くぅぅう〜。

さてと、渡り鳥はどうしていることか。こうしちゃ居られない。
美唄宮島沼へと2週間ぶりに行ってみる。着いたのがpm4:00。ちらほら見えるだけ。
周囲の田んぼで餌をついばんでいる方が圧倒的に多い。
5時半頃からぼちぼちここのねぐらに帰るらしい。
「どこで遊んでいるのか、早く帰ってくればいいのに」車で待つこと1時間半。
来た!来た!と思う間もなく、次から次ぎへとやって来た。
黒い点線が柔らかい曲線を描き、
V字になり、型を変え空いっぱいに見事なパフォーマンスを披露しながら 宮島沼を目指してくる。
やがて夕張岳も芦別岳も夕闇に包まれ、
ほんのりと空を染めた東の山並みと鳥たちが影絵のように浮かぶ。

暗くならないうちにみんな帰り着いたのだろうか。
北への旅立を前にしばしの休息をとり2、3日後には一斉にここを飛び立つ。

今度は是非旅立ちを見送ってあげたい。 その時、どんな思いにかられるのか。

本日の飛来数、マガン61000羽、白鳥1000羽。


4月19(水)
冬ごもりのリバウンドを気にしつつ、滞っていたウォーキングを再開してみる。
庭の手入れを始めた家々を通り、奥へと延びる住宅街を抜け大通りに出る。
公園はまだ湿った空気の中にある。

それは遠くから見ると樹の固まりのような、モニュメントにも見える。
近づくにつれ、人だと判る。石の柱状のものに寄りかかっている。
それにしてもいつまでも動く気配がない。

そっと寄ってみると小さな老人が石の柱に顔をこすりつている。
顔の横にはビデオカメラがあった。

あぁ何事もなくて良かったと思いつつ「いいもの撮れましたか」と声を掛けてみた。
何の反応もない。声を掛けるべきじゃなった。
老人の側には、乳母車を改良したような手押しの車が置かれ、
数個の空き缶とゴミと火ばさみがのっている。「ふぅ〜ん」
カメラのレンズは道路一本隔てたお寺に向けられていた。
背が丸くなった老人はゆっくりビデオカメラをしまい、「これが私の道楽でね」と言った。

小さな老人は102歳。
手押し車につかまり散歩中
。ついでに道端の空缶を拾う。もちろん撮影も忘れない。
こうして半日歩くのが日課だという。

「最近は足が痛くてね。歩けなくなると困るから我慢して歩くんだ。
悪いところだらけで・・・」 とんでもない、はきはきと話し目も耳も達者。 老人の理想像かもしれない。
カメラを操作する手のきれいなこと。つい102歳にあやかってシミひとつない手に触ってみた。

小型トラックがとまった。
作業服の人が近づいてきて「すみません、水出しますので・・・」
そうか、この石の柱は水飲み場なのだ。
石の先から水がほとばしった。

冬と決別した水は、風に揺らいで春の陽をさそい地面に広がっていった。
老人の背にも同じ陽がそそいでいた。


4月18(火)
「あぁ、これはぁ〜」持って行ったタイヤを見て、いつも行くスタンドのお兄さんが笑みを浮かべている。
「エッ、スタットレスだった!いや〜出直してくるわぁ」ふぅ〜。
春の陽気にぼーっとして夏タイヤのはずが・・・。
大穴を掘って入りたい。

そもそもの始まりが日曜日タイヤ交換をしようと、はりきってスタンドへ行くと「なぬぅ」休み。
しかたがない積んだタイヤを降ろしてっと。
月曜日は時間がないので、今日になって再度持っていくと、薄笑いのお兄さんのせりふです。
よーく見るまでもなく、ビニール袋の中味はスタットレスタイヤ。
これは前の車のもので、サイズが合わず捨てるにはもったいないと、しまってあったもの。
だとすると、私の夏タイヤはどこ。

ご丁寧に家人1の積み上げたタイヤの後ろに隠れておりました。
まず、間違ったタイヤを物置の隅にしまって、家人1の2台分のタイヤをどけて、
本命のmy夏タイヤを出して、 スタンドで交換し、その交換したmyスタットレスをしまって、
家人1の2台分のタイヤをしまって、
大汗をかいて。

おまけにスタットレスのアルミホイールを夏のホイールと入れ替えてもらって、これで完了。
自分で取り替えてた時もあったのに・・・。
身も財布もタイヤにつぶされそう。

気を取りなをして買い物に。
レジを済ませて、パンの焼くにおいに誘われパンを買う。
振り返ると「おやっ」後ろに置いたはずのカートが品物ごとない!
どうやって車まで運ぼうかと思うほどの山積みの品々なのに。
いや〜困ったと思っていると、カートを押してダッシュしてくる人がいる。
「ごめんなさぁ〜い。まちがえてぇ〜」 笑っちゃうなぁ。
あの方の分も、地球上穴だらけ。
はるうらら。


4月16(日)
日曜日のほとんど車の通らない田舎道を行く。
途中小雨がみぞれに代わる。

雪かな?鳥かな? まだ雪の残る田んぼに朝食中の一家がいる。
確かにもう来ている。
近づくにつれ聞こえてくる。
まるで武将が勝ち鬨の声をあげながらどんどん押し寄せてくるような迫力で。
まだ氷で覆われている宮島沼が白鳥で埋まっている。圧巻だ。

ゆっくりゆっくり驚かさないように近づいてみる。
一本足でまあるくなって寝ていたり、空に向かって叫んでいり
、冷たい水に顔をつっこんで餌を探したり、
飛び立つときの水面を懸命に蹴る仕草、足を前に出しての着水。足は水掻きも真っ黒。
一日見ていても飽きないと思うほど。
長い旅をしてここで羽を休めてまた飛び立っていく。

数年前のこと。
いったい何の音かと外に出て見た。
その声は空から聞こえ、月がことのほかきれいに輝いていた。
一列に並んだ白鳥が声をあげながら南に向かっていた。
凍てつく中を張りつめた空気が流れ、生きる厳しさと凛々しい美しさに感動した。

あの時の渡りを思うと、よく帰ってきたねと愛おしい。
まだ誰も来ていない沼で白鳥の湖でも踊って労をねぎらってあげたい気分。
だめかな。

美唄市宮島沼。本日の飛来数、白鳥23000羽、真がん6000羽。


4月12(水)
4月は、きのうまで吸っていた空気と違うものを吸い込んでいるような人達であふれている。
地下鉄に乗っても、言葉の端はしには一層それとわかり、つい頬がゆるむ。
楽しいのは私だけかと思ってそっと辺りを見渡すと、いたいた。
楽しさを共有している人が。
それにしても一歩を踏み出した人の顔はいいものだ。
いつの頃からか足踏み状態の私にとってはうらやましぃ〜。

4月1(月)
昨日、「グリーンマイル」に涙している頃有珠山は噴火していた。
律儀な火山だとは聞いていたが、シナリオどおり今のところは避難できているようで
火山予知も優れているのに感心する。
77年の噴火も灰がここまで届いた。
その翌年、洞爺湖畔でキャンプしたときも降灰は続いていて湖には軽石がプカプカ。
そんなことを思いながらテレビを見ていて、ふと思う。
聴覚障害者に文字のついたニュースを!!
せめて緊急を要するニュースだけでも字幕なり手話通訳をつけることはできないのだろうか。
そんなに難しいことなの!

避難場所の映像を見る限り電話は設置されているけれどFAXはあるのだろうか。
近くに手話通訳者がいるのだろうか。
きっと不安が募っていると思う。
何もできないけれど、報道機関に文字情報の提供を呼びかけることにした。


3月25(土)
「函館遺愛高校の側の桜がきれい。市電からも見えますから」
ラジオで桜の話をしていた。
行ってみようかなと思う。

あぁ〜それなの朝外を見てびっくり。 この時期だもの春の淡雪とたかをくくっていたら何としてやられた。
玄関前の氷を割って春を呼び寄せたのは昨日。
見上げる程成長した我が家の桜のつぼみも確実にふくらんでいる。
部屋で一足早く桜の花を愛でようと、雪山に登り枝を折って花瓶にいれた。
さあぁ〜今年はどこの桜に感嘆の声をあげるのか。
名前は忘れたけれど、花びらが薄緑の桜があるという。
ぜひご対面したいものだ。


3月6(月)
春、はる、ハル。やっぱり春。
何もないからって風邪を持ち込むことはないのに。
絶対これだけは消化しないとダメだから風邪なんて言ってられない。
そんな時はシャンとなって大役を果たし、それからまたおもむろに風邪の続きをしてと、
そんな繰り返しをしているうちに、春になってしまった。

「海の上のピアニスト」3月の第一段はこれにした。
一度も陸に上がらなかったピアニストなんて本当に居るのか!

ストーリーを思い描きながら・・観て納得。居ました。

陸には普通の生活があり、広い世界があると進められ、
一度は船を降りようとタラップを下り始めるが、
「うんこでもふんずけたのか」と言われながらも引き返してしまう。
船内で孤児として生まれ一生涯ピアノを弾き続ける。
最後にご用済みの船を爆破することになる。
まだ彼は船内にいるはずだと友人が世に出ることの無かった彼のレコードを 偶然古道具屋で見つけ、
朽ち果てた船内でこのレコードをかける。
目の前の果てしなく続くニューヨークを見て「 いつまでなんだ」 と問う。
「ピアノの鍵盤は端から端までと終わりがある。
その中に想いを込めて生活してきた。 鍵盤にこそ自由がある。
船を降りることは死を意味する」と。
ピアノの音色は心の奥まで響きました。
どんなところにも幸せはあるんです。

☆☆☆☆。いい時間を過ごせました。


2月11(金)建国記念の日
ガリンコ号に乗ると言ったら「私も」とネットで2名の追加を入れると「はいっ!これで定員になりました」
16時の乗船だから寒いのを覚悟し万全の体制を整えて出発。
江別東(高速)ー旭川ー愛別ー上川ー浮島峠ー滝上ー紋別と所要時間5時間。
青空が雪雲に代わり浮島峠で吹雪、峠を越え紋別は降ったり止んだり。
「これって、流氷〜」真っ白なでこぼこの雪原が遥か彼方まで続いている。地平線もしかり。
初めて見る流氷を見ながらゆっくり昼食。
ガリンコ号に乗る前に流氷の舞姫クリオネに会うためオホーツクタワーに向かう。
居ました、居ました。
何とデリケートな色形。泳ぎ方も左右の手(?)をひらひら。いないないばぁ〜。かわいいねぇ〜。

とにかく紋別のガリンコU号は迫力満点。
氷の山に体当たり。進めないとわかると少し戻り再度挑戦。
2つの縦長の太いスクリューでどんどん氷を砕き進む。
ジグザグの裂け目がアッという間に遠くま延び、徐々に広がり、そこに紺碧の海が顔を出す。

厚さがどの位あるのか(1m?)氷が蒼白く輝き刻々とその色が変わる。
オジロワシがじっとガリンコ号を見つめ微動だにしない。
餌をめがけて寄ってくるオジロワシたち。
黄色いくちばしと太い足、近づくと大きい。
雲の切れ間から赤みが差し、流氷を渡ってくる風も冷たくなった。アッという間の1時間。
楽しかった〜。

今年の流氷は近来になく勢いがあるらしい、お見事。
夕日のクルージングは来年のお楽しみ。


2月8(火)
なんかへん。腰の周りがもぞもぞ。背中がもぞもぞ。首がもぞもぞ。かゆぅ〜〜い。
盛り上がって地図状に赤く晴れあがっている。
もしかして。
昼に食べたものは、お蕎麦と天ぷら。犯人は悲しいかな、もしかの大親友のおそばづき。
あとは考えられない。ましてや出されたそば湯は別の器で2杯も飲んで、いや〜うまかった〜。
手首がかゆい。だんだん先の方に延びてきたかゆみの正体。
ビールでも飲んで体中行き渡ればもはや敵は行き場が無く参ったとなるに違いないとばかり、クゥィイ。

寝る頃にはおさまったけれど悲しいかな、
この次はおっかなびっくりおそばを食べることになるとは。トホホ。


2月6(日)
10回目を迎えるおおたき国際スキーマラソンいやぁ〜走ったねぇ〜。
いざ競争となるとぉ。イメージだけで出ようってんだからたいしたもんですよ。
参加賞目当てといわれようが、きのこ汁食べて温泉入って、参加することに意義あり。

「あそこで水飲まなければねぇ〜バナナなんかも食べちゃって〜」
「スケーティングできるのゴールしてから判ったんじゃねぇ〜」
「カメラ構えてるんだものつい止まってポーズなんかしちゃって〜」
「昨日手を怪我してストック持てなかったんっだわ〜」
終わってみればいろんないい訳言って、そのいいわけ全部クリヤーできれば優勝だね。まったく。
走りはまあこんなもんだから、来年はパフォーマンスで行こうかぁ。
人知れず早意欲的な初参加の大家さん。うぅ〜ん、そうそう。ついうなずいておりました。


2月1(火)
毎月1日は映画ファンの日、
毎週水曜日はレディスディということで1000円で映画が見られる。

でも今日はちょっと損をしてしまった。
というのもチケットラリーで先月getした招待券の期限が今日まで。今日見なければフイになる。
week day に見ると1700円。1700円の日に招待券を使って、1000円の時はポケットマネーで・・。
どうも映画だけはシビアになってしまうのが可笑しい。

どんな描き方をするのかと思いつつ、ジャンヌ.ダルクを見る。
15世紀、英仏百年戦争で神のお告を受けてフランスを救うことを課せられた美少女。
最近男性が弱体化(おっと失礼)したせいか強いジャンヌ.ダルク、なかなかやるね〜ぇ。
課せられた運命といえども自分が思いこみ選んだ道。
最後火あぶりで処刑されるが潔い。ミラ.ジョヴォヴィッチは適役。
☆☆☆3つ。

でもね、戦争映画っていつもそうだけれど疲れるぅ〜。


1月30(日)
吹雪いていたわけでもなかったが1歩も外に出ないで1日が終わった。
今年に入って初めての珍しいことだ。

それがなんと、9年間部屋に閉じこめられていた女性が新潟にいたとは。不思議でしょうがない。
誘拐されたとはいえ逃げ出せるチャンスはあったはずなのに。
誰も気づかなかったのだろうか。インターネットで新潟日報を読んでみる。どうもよく判らない。
一番大事な思春期を恐怖心を持ちながら狭い部屋で過ごすことの異常さ。
精神的なダメージがどんなに大きいことか計り知れない。
両親の愛情で1日も早く癒されることを願わずに入られない。

ふと、以前見た「コレクター」という映画を思い出す。
蝶の収集をしている青年が若い女性を蝶のごとくつかまえてきてしまう。
ところが蝶のようにはいかず
、女性は何度か地下室から逃げ出すことを試みるが見つかり、そのつどひどい仕打ちを受ける。
そして逃げることをあきらめると妙に青年の心が理解できお互い暗黙の了解のように暮らし始める。
最後は青年の元を去ったように思うけれど、はっきり思い出せない。
若い頃見た映画なのでこんな事もあるのかとその頃はドキリとしたものだ。


1月28(金)
久しぶりに早く寝た。ところがゆらゆらときた。
治まるだろうと思ってもそうはいかない。足元にある本箱が倒れたら胸がつぶれるかも。
すわぁッ!! 半分上体を起こしたが、そのうちにおさまった。
寝ぼけた頭の中で今のは「震度1」と思いつつラジオをつける。
速報の早いことにまたビックリ。
ビックリにもめげず再度眠りの世界へ吸い込まれた。

安心して眠るためにも、家具の近くで寝ないようにしようと先日家人と話したばかりだ。
最近とみに家の中にものがあふれ片づけようにも収納場所が無くなってきた。
全部の部屋をうまく使っているかというとNO。
捜し物はこの部屋に来ればたいがいは見つかる通称一階奥の部屋。
「茶の間片づけてよ」の怒鳴り声で見事奥の部屋へスライドされる。
「泊まらして」この言葉にあわてふためいてなんとか寝る場所を確保できる2階北の畳部屋。
元の主が永久保存と置いていった車のカタログに文句を言いつつも、
実はすきま産業と名づけた生産性の上がらないことをやる空間。

ポリシーのない古い家を捨てバチ作戦で広い空間にしたい。
1年経っても使わない物は2年経っても5年経っても使わないのよ。
物を投げる(北海道ではこう言うが全国的には物を捨てると言うらしい)ことを知らない家族の中で、
判断の素早さとそれを行動に移す巧みな業で恐れられつつある。
えっッ「でも、あんたが捨てられないように気をつけなさい!」
皆の目がそう訴えているように思うのは私の錯覚。


1月26(水)
帳尻を合わせようとしているのか夕方から降るわ降るわ静かに。
明日の朝はどんなだろうと思っていると家人4「これから帰る」と言ってくる。
すわっ! ブルに車をつぶされないためにも、3台駐車させるとなるとひと工夫が必要。
そんなわけで真夜中の雪かきとなる。
寝静まった家々をすっぽり包み、街灯に照らされた雪がキラキラ光る。
見上げると地面から天に向かって雪が降る。吸い込まれていくように。
真夜中の雪かきもいいなと思い始める。

遠くからボボボッーと家人4の車の音。頼むからみんな寝てるから静かに帰って来てよ。
まだ雪があるからこれでも静かだけれど、夏だと大変。家の近くに来たら押しておいでよ。

心持ち運動不足も解消できいい夢でも見るかなと思いきや、目がさえてしまった。
さっき飲んだワインもどこへやら。さぁーてっと。しっかりとグラスを握っておりました。
雪かきのあとのワインいいかもね。癖になりそう。


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