つれづれに
2000.1.〜2000.8
ここは太平洋に一番近い苫小牧の露天風呂。
海に入っているのか温泉に入っているのか・・・。
ぼぉっと海を眺め時間が過ぎていく。
しけの時は荒波が露天風呂に押し寄せて来るかも知れない。
朝日を見ながら入るのもいい。
贅沢な命の洗濯をして、また明日から頑張ろうという気になる。
今度は違う海の色を見にこよう。
虫の声が夏の終わりを告げていても、「ちょっとぼんやりしてしまった」と言ったかどうか。
羽根がちぎれそうになりながらもアゲハチョウがふわふわ。
最後の声を振り絞って蝉が鳴き、トンボだって確実に元気がなくなっている。
洗濯干しの手を休め、ふと見上げた今日の空は鱗雲がいっぱいに広がり間違いなく秋色。
こんなに暑い日なんてもうないかもね。
行く夏を惜しみながら、全ての窓を全開にして夏を取り込んで、
いろんなことがあった夏だなぁ〜と思う。
いいな、いいな、こんな事があるなんてと思いながら「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み進む。
9と3/4番線から紅色の汽車で魔法学校に旅立っていったハリー。
教科書は「基本呪文集」「魔法史」「魔法論」「変身術入門」「魔法薬調合法」。
日刊予言者新聞はふくろうが配達して、クィディッチはほうきに乗ってする魔法族のサッカー。
目の前にその場面がはっきり見え夢があって、大人でも楽しめる。この秋の1冊になりそう。
こんな時間になると涼しさを通り越して肌寒くなってきた。全部窓を閉めて寝るとしよう。
でも今は風を切るだけでなく、雲を映す湖と潮の香り、草花の息づかいも、
全部受け止められる素晴らしいところにいる。
サロマ湖とオホーツク海を分ける砂州、幅500mほどの細長い大地。
そんなワッカ原生花園を走る。
ハマナスが実を付け始め、カワラナデシコの赤、ツリガネニンジンの紫、
ウメバチソウの白、カワラマツバの黄と夏の花と秋の花が咲き乱れる。
花たちはやさしく揺らいでいる。その中に身を置く幸せ。もう最高!!
小さな橋をわたる頃にわか雨になる。花の聖水ワッカの水がわき出るあずま屋で雨宿り。
口に含んだ水はまろやかで体中にしみわたる。
雨が上がり、太陽が顔を出しオホーツク海がもとのぎらぎらと光る海に変わる。
いつまでも、やさしい草花に抱かれ移り変わる風の中に居たい。
あ〜こんなところに住んでみたぁ〜い。
またはじまった。
からっと晴れ上がった沖縄。
沖縄サミットが終わった。
こんなに長い時間沖縄のことをテレビで見たことがなかった。
同じ日本でありながら、
特に北海道に住んでる身として本当に日本なんだろうかと思うほど異質に思える。
もちろん激戦地であったこと、72年に返還されても尚、基地のある街としいて重い問題を抱えている。
沖縄を思うときどうしても避けて通ることができない。
紅型、海、空、南国のまばゆいばかりの色彩に少し救われる気がする。
家人1、「騒音ではなくあれは爆音だ。行かなければ判らない予想以上のもの」
家人3、「とにかくカァッと暑いんだわぁ、雪がないということは悩みの半分は解消できてるね」
まだ行ったことのない身としては「いきたぁ〜い!」密かに、行ってエイサーを踊ってやるぅ。
もうテレビの前で手はエイサーになっているのです。
江別焼き物市も今年で11回目。
この器にはこんな物が合うだろうなと思いながら見るのが楽しい。
是非使ってみたい。買いたい。と思うものと目が合うとツイということになる。
チャリティーオークションで競り落とせなかった悔いは残るけど、楽しく歩き回った一日。
暗くて寒い展示場にひざを抱えるように前を向き顔を上げ座っている。
黒い髪が背中に張り付き、しっかりと健康そうな肩や腕がそれと判る。
今にもひざの毛布を取って起きあがり「同じ姿勢も疲れるものよ」と言いそうな。
フワニータちゃんと目が合うと、特に悲しげでもなく全てを理解したように見えた。
どんな思いでいけにえになったのか、思いめぐらせてしまう。
いけにえとして、とても大事に育てられ幸せだったらしいと聞いて、少し心安らぐ。
乾燥したミイラではなく凍結状態で発見されたため、皮膚があり顎にはシワまで刻まれている。
DNA鑑定で原住民の祖先であるかどうかも判るらしい。
それにしても金属製品や織物、染め、刺繍など今見てもとても斬新。
アンデスの人々の感性は現在も確実に脈々と受け継がれている感じがする。
そんな「フワニータちゃん」はるばる日本まで来てびっくり、言葉もないという感じか。
じっさいに文字はなかったようです。
「そっとしておいて。騒がしくて寝不足なのよ、フワニータ」
500年以上寝ていても寝だめはできないのですね〜。
環境破壊!きれいなままの地球で次世代に引き継がれるべきなのだから。
何でそうなるのと思うほどゴミの問題はいろんな問題を一緒に抱え込んでいる。
江別市リサイクルセンターが「容器包装リサイクル法」に基づいて4月から稼働した。
収集された資源ゴミがコンベアーに乗ってくる。
キヤップをはずしたり、ラベルを破がしたり、資源以外のスプレー缶、油のボトルなどが取り除かれる。
それらは人の手によって行われることを市民は知っているのだろうか。
「せめて決められたとおりに出せばいいことなのに」ため息が出る。
果ては自分たちの身にふりかかること。
頭の中は、あれもそろそろ処分したいし、これも捨てよう、すっきりしたらもう物を買うのは止めよう。
「経済の停滞なんて知ったこっちゃない」そう決意しながらも少々足取りが重いのは何故。
過剰包装お断り。
ゴミになるような物は「持ち込まず」「使わず」「作らず」
まるで何とかの3原則と同じ宣言をしても迫力なし。
ゴミ問題は寒いとき考えるべき。この暑さななあに。地球温暖化なの。
以前インコの雛を育てたことがある。
細々と哀れな産毛の雛が巣箱から顔を出し、親鳥の遊んでいるすきに誘拐を企てた。
冷めた餌ではダメだと判るまで随分時間がかかったが、3時間おきにすり餌を与えた。
餌を欲しがる仕草が何とも愛らしく、鳴きながら待っていると思うと何をさておいてもとんで家に帰った。
一気に子供が3人増えたように。
いつものように床の上で遊ばせていると突然スキップのようなジャンプを始めた。
歩いてはその場で10p程飛び上がるという妙な動作が2、3日続いた。
椅子の上に置いてあげると何度も何度も下を覗き込む。意を決したように飛び降りた。
覗き込まなくても飛べるようになると、今度は床から椅子に飛び移る。
飛び始めは羽ばたきがゆっくりで失速するかとハラハラする。
不思議にそのころ3羽共、これが獣の臭いかと思われる何とも生臭い臭いに替わった。
「たぼちゃん」は、クラシック音楽が大好きで、誰がおしゃべりしているのかと振り返るほどぶつぶつ言っていた。
「一休」は、品があって自分の名前を一番に言えたお利口さん。
「ちびちゃん」は、甘えん坊で呼ぶとすぐ鳴きながら飛んできて手のひらにとまった。
今はもうみんな庭の木の下に眠っている。
家族のいろんな感情をよく受け止めてくれたと感謝している。
換気口の雛たちはどんな子に成長するのだろうか。
巣立ちの日が楽しみだ。「早く見てごらん外の景色を」。
遊びほうけているうちに、いろんな事件が起きて世の中はいったいどうなっているの。
中でも10代の少年犯罪が多発。学校が悪い、家庭が悪い、社会が、誰が悪いとばかりは言ってられない。
手始めに大人がもっと真剣にゆっくり生きること。それにつきると思うけど。
こんなたいそうなことを言える柄ではなかったと、我が身を振り返って気づくのです。
5月のさわやかな風は誰のもとにも吹いています。
さてと、渡り鳥はどうしていることか。こうしちゃ居られない。
美唄宮島沼へと2週間ぶりに行ってみる。着いたのがpm4:00。ちらほら見えるだけ。
周囲の田んぼで餌をついばんでいる方が圧倒的に多い。
5時半頃からぼちぼちここのねぐらに帰るらしい。
「どこで遊んでいるのか、早く帰ってくればいいのに」車で待つこと1時間半。
来た!来た!と思う間もなく、次から次ぎへとやって来た。
黒い点線が柔らかい曲線を描き、
V字になり、型を変え空いっぱいに見事なパフォーマンスを披露しながら 宮島沼を目指してくる。
やがて夕張岳も芦別岳も夕闇に包まれ、
ほんのりと空を染めた東の山並みと鳥たちが影絵のように浮かぶ。
暗くならないうちにみんな帰り着いたのだろうか。
北への旅立を前にしばしの休息をとり2、3日後には一斉にここを飛び立つ。
今度は是非旅立ちを見送ってあげたい。 その時、どんな思いにかられるのか。
本日の飛来数、マガン61000羽、白鳥1000羽。
それは遠くから見ると樹の固まりのような、モニュメントにも見える。
近づくにつれ、人だと判る。石の柱状のものに寄りかかっている。
それにしてもいつまでも動く気配がない。
そっと寄ってみると小さな老人が石の柱に顔をこすりつている。
顔の横にはビデオカメラがあった。
あぁ何事もなくて良かったと思いつつ「いいもの撮れましたか」と声を掛けてみた。
何の反応もない。声を掛けるべきじゃなった。
老人の側には、乳母車を改良したような手押しの車が置かれ、
数個の空き缶とゴミと火ばさみがのっている。「ふぅ〜ん」
カメラのレンズは道路一本隔てたお寺に向けられていた。
背が丸くなった老人はゆっくりビデオカメラをしまい、「これが私の道楽でね」と言った。
小さな老人は102歳。
手押し車につかまり散歩中
。ついでに道端の空缶を拾う。もちろん撮影も忘れない。
こうして半日歩くのが日課だという。
「最近は足が痛くてね。歩けなくなると困るから我慢して歩くんだ。
悪いところだらけで・・・」 とんでもない、はきはきと話し目も耳も達者。 老人の理想像かもしれない。
カメラを操作する手のきれいなこと。つい102歳にあやかってシミひとつない手に触ってみた。
小型トラックがとまった。
作業服の人が近づいてきて「すみません、水出しますので・・・」
そうか、この石の柱は水飲み場なのだ。
石の先から水がほとばしった。
冬と決別した水は、風に揺らいで春の陽をさそい地面に広がっていった。
老人の背にも同じ陽がそそいでいた。
そもそもの始まりが日曜日タイヤ交換をしようと、はりきってスタンドへ行くと「なぬぅ」休み。
しかたがない積んだタイヤを降ろしてっと。
月曜日は時間がないので、今日になって再度持っていくと、薄笑いのお兄さんのせりふです。
よーく見るまでもなく、ビニール袋の中味はスタットレスタイヤ。
これは前の車のもので、サイズが合わず捨てるにはもったいないと、しまってあったもの。
だとすると、私の夏タイヤはどこ。
ご丁寧に家人1の積み上げたタイヤの後ろに隠れておりました。
まず、間違ったタイヤを物置の隅にしまって、家人1の2台分のタイヤをどけて、
本命のmy夏タイヤを出して、 スタンドで交換し、その交換したmyスタットレスをしまって、
家人1の2台分のタイヤをしまって、大汗をかいて。
おまけにスタットレスのアルミホイールを夏のホイールと入れ替えてもらって、これで完了。
自分で取り替えてた時もあったのに・・・。
身も財布もタイヤにつぶされそう。
気を取りなをして買い物に。
レジを済ませて、パンの焼くにおいに誘われパンを買う。
振り返ると「おやっ」後ろに置いたはずのカートが品物ごとない!
どうやって車まで運ぼうかと思うほどの山積みの品々なのに。
いや〜困ったと思っていると、カートを押してダッシュしてくる人がいる。
「ごめんなさぁ〜い。まちがえてぇ〜」
笑っちゃうなぁ。
あの方の分も、地球上穴だらけ。
はるうらら。
雪かな?鳥かな? まだ雪の残る田んぼに朝食中の一家がいる。
確かにもう来ている。
近づくにつれ聞こえてくる。
まるで武将が勝ち鬨の声をあげながらどんどん押し寄せてくるような迫力で。
まだ氷で覆われている宮島沼が白鳥で埋まっている。圧巻だ。
ゆっくりゆっくり驚かさないように近づいてみる。
一本足でまあるくなって寝ていたり、空に向かって叫んでいり
、冷たい水に顔をつっこんで餌を探したり、
飛び立つときの水面を懸命に蹴る仕草、足を前に出しての着水。足は水掻きも真っ黒。
一日見ていても飽きないと思うほど。
長い旅をしてここで羽を休めてまた飛び立っていく。
数年前のこと。
いったい何の音かと外に出て見た。
その声は空から聞こえ、月がことのほかきれいに輝いていた。
一列に並んだ白鳥が声をあげながら南に向かっていた。
凍てつく中を張りつめた空気が流れ、生きる厳しさと凛々しい美しさに感動した。
あの時の渡りを思うと、よく帰ってきたねと愛おしい。
まだ誰も来ていない沼で白鳥の湖でも踊って労をねぎらってあげたい気分。
だめかな。
美唄市宮島沼。本日の飛来数、白鳥23000羽、真がん6000羽。
避難場所の映像を見る限り電話は設置されているけれどFAXはあるのだろうか。
近くに手話通訳者がいるのだろうか。
きっと不安が募っていると思う。
何もできないけれど、報道機関に文字情報の提供を呼びかけることにした。
あぁ〜それなの朝外を見てびっくり。
この時期だもの春の淡雪とたかをくくっていたら何としてやられた。
玄関前の氷を割って春を呼び寄せたのは昨日。
見上げる程成長した我が家の桜のつぼみも確実にふくらんでいる。
部屋で一足早く桜の花を愛でようと、雪山に登り枝を折って花瓶にいれた。
さあぁ〜今年はどこの桜に感嘆の声をあげるのか。
名前は忘れたけれど、花びらが薄緑の桜があるという。
ぜひご対面したいものだ。
「海の上のピアニスト」3月の第一段はこれにした。
一度も陸に上がらなかったピアニストなんて本当に居るのか!
ストーリーを思い描きながら・・観て納得。居ました。
陸には普通の生活があり、広い世界があると進められ、
一度は船を降りようとタラップを下り始めるが、
「うんこでもふんずけたのか」と言われながらも引き返してしまう。
船内で孤児として生まれ一生涯ピアノを弾き続ける。
最後にご用済みの船を爆破することになる。
まだ彼は船内にいるはずだと友人が世に出ることの無かった彼のレコードを 偶然古道具屋で見つけ、
朽ち果てた船内でこのレコードをかける。
目の前の果てしなく続くニューヨークを見て「 いつまでなんだ」 と問う。
「ピアノの鍵盤は端から端までと終わりがある。
その中に想いを込めて生活してきた。 鍵盤にこそ自由がある。
船を降りることは死を意味する」と。
ピアノの音色は心の奥まで響きました。
どんなところにも幸せはあるんです。
☆☆☆☆。いい時間を過ごせました。
とにかく紋別のガリンコU号は迫力満点。
氷の山に体当たり。進めないとわかると少し戻り再度挑戦。
2つの縦長の太いスクリューでどんどん氷を砕き進む。
ジグザグの裂け目がアッという間に遠くま延び、徐々に広がり、そこに紺碧の海が顔を出す。
厚さがどの位あるのか(1m?)氷が蒼白く輝き刻々とその色が変わる。
オジロワシがじっとガリンコ号を見つめ微動だにしない。
餌をめがけて寄ってくるオジロワシたち。
黄色いくちばしと太い足、近づくと大きい。
雲の切れ間から赤みが差し、流氷を渡ってくる風も冷たくなった。アッという間の1時間。
楽しかった〜。
今年の流氷は近来になく勢いがあるらしい、お見事。
夕日のクルージングは来年のお楽しみ。
寝る頃にはおさまったけれど悲しいかな、
この次はおっかなびっくりおそばを食べることになるとは。トホホ。
「あそこで水飲まなければねぇ〜バナナなんかも食べちゃって〜」
「スケーティングできるのゴールしてから判ったんじゃねぇ〜」
「カメラ構えてるんだものつい止まってポーズなんかしちゃって〜」
「昨日手を怪我してストック持てなかったんっだわ〜」
終わってみればいろんないい訳言って、そのいいわけ全部クリヤーできれば優勝だね。まったく。
走りはまあこんなもんだから、来年はパフォーマンスで行こうかぁ。
人知れず早意欲的な初参加の大家さん。うぅ〜ん、そうそう。ついうなずいておりました。
どんな描き方をするのかと思いつつ、ジャンヌ.ダルクを見る。
15世紀、英仏百年戦争で神のお告を受けてフランスを救うことを課せられた美少女。
最近男性が弱体化(おっと失礼)したせいか強いジャンヌ.ダルク、なかなかやるね〜ぇ。
課せられた運命といえども自分が思いこみ選んだ道。
最後火あぶりで処刑されるが潔い。ミラ.ジョヴォヴィッチは適役。
☆☆☆3つ。
でもね、戦争映画っていつもそうだけれど疲れるぅ〜。
それがなんと、9年間部屋に閉じこめられていた女性が新潟にいたとは。不思議でしょうがない。
誘拐されたとはいえ逃げ出せるチャンスはあったはずなのに。
誰も気づかなかったのだろうか。インターネットで新潟日報を読んでみる。どうもよく判らない。
一番大事な思春期を恐怖心を持ちながら狭い部屋で過ごすことの異常さ。
精神的なダメージがどんなに大きいことか計り知れない。
両親の愛情で1日も早く癒されることを願わずに入られない。
ふと、以前見た「コレクター」という映画を思い出す。
蝶の収集をしている青年が若い女性を蝶のごとくつかまえてきてしまう。
ところが蝶のようにはいかず
、女性は何度か地下室から逃げ出すことを試みるが見つかり、そのつどひどい仕打ちを受ける。
そして逃げることをあきらめると妙に青年の心が理解できお互い暗黙の了解のように暮らし始める。
最後は青年の元を去ったように思うけれど、はっきり思い出せない。
若い頃見た映画なのでこんな事もあるのかとその頃はドキリとしたものだ。
安心して眠るためにも、家具の近くで寝ないようにしようと先日家人と話したばかりだ。
最近とみに家の中にものがあふれ片づけようにも収納場所が無くなってきた。
全部の部屋をうまく使っているかというとNO。
捜し物はこの部屋に来ればたいがいは見つかる通称一階奥の部屋。
「茶の間片づけてよ」の怒鳴り声で見事奥の部屋へスライドされる。
「泊まらして」この言葉にあわてふためいてなんとか寝る場所を確保できる2階北の畳部屋。
元の主が永久保存と置いていった車のカタログに文句を言いつつも、
実はすきま産業と名づけた生産性の上がらないことをやる空間。
ポリシーのない古い家を捨てバチ作戦で広い空間にしたい。
1年経っても使わない物は2年経っても5年経っても使わないのよ。
物を投げる(北海道ではこう言うが全国的には物を捨てると言うらしい)ことを知らない家族の中で、
判断の素早さとそれを行動に移す巧みな業で恐れられつつある。
えっッ「でも、あんたが捨てられないように気をつけなさい!」
皆の目がそう訴えているように思うのは私の錯覚。
遠くからボボボッーと家人4の車の音。頼むからみんな寝てるから静かに帰って来てよ。
まだ雪があるからこれでも静かだけれど、夏だと大変。家の近くに来たら押しておいでよ。
心持ち運動不足も解消できいい夢でも見るかなと思いきや、目がさえてしまった。
さっき飲んだワインもどこへやら。さぁーてっと。しっかりとグラスを握っておりました。
雪かきのあとのワインいいかもね。癖になりそう。
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