21世紀つれづれに
 

2001.7.〜2001.12.


12月5(水)
気になっていたことが分かった。
ハリーポッターが9・3/4番線から魔法学校入学のために列車に乗るが、
本を読んでいて乗ってみたいと思ったのは私だけじゃないと思う。
大人になっていてよかったと思うくらい、今もし子どもだったら、
絶対線路に向かって飛び込んでいたかもしれない。
でも映画を見る限り、線路に向かってじゃなく、勢いよく壁に吸い込まれていって一件落着。

というわけで、「ハリーポッター」を観ている間に、愛車のリコール整備が完了。これで安心。
このリコールなんだけれど、ちょっと気に入らないのは、
連絡のハガキを読んでもさっぱり何処が どう悪いのか判らないと言うこと。
「原動機の不具合で、走行中・・・」何だこれは。
「エンジン回転数センサーが働かなくなり」ということらしいが、
昔ながらの分かりづらい挨拶語は
省いてゴーン社長のメッセージをメールで流して方が判りやすいと思うけれど。

それとジンジャーなるものは乗り物だった。
pcに次ぐものすごい発明といわれていたから、 もしかしたらドクター中松系かと思っていた。
ちょっと笑えるけれど、雪道でも滑らず安全なんて言ったら買うかもしれない。
座っても乗れたらいいし。楽しいね、みんな乗って出かけたら。

「ハリーポッター」「ジンジャー」「リコール」と一挙に3つのことが解決した。
めでたしの1日。


12月1(土)
「皇太子妃雅子様が女のお子様を出産なさいました」昼からこのニュースが何度となく流れる。
当事者はもちろん関係者もプレッシャーのものすごさにホッとしていると思う。
「ほっといてよ」と変わりに言ったところでどうなるでもなし。
女の子、結構! 良いニュースだから2001年の締めくくりとしては☆5つ。

12月になると10大ニュースが発表になるけれど我が家的には何かなぁ〜。
う〜ん、あるある。公表できないのがちょっとつらいけど。
ネガとポジが混ざり合って・・。残すところ1ヶ月。
だまっていても新しい年は来るんだから、なんて投げやりはいけないよ。
最後まで夢を持って、あとは宝くじに夢を託してっと。


11月9(金)
近頃若い人達の間では、語尾上げ、アクセントなし、 造語が流行っている。
もちろん仲間同士の会話では親近感がわき一向に構わないし、楽しいものだと思う。
それを大人が使って、いかにも若者のことを自分は理解し、
流行の先端をいっているかのように思っているマスメディアの人達が滑稽に見えてくる。

今日お会いした、うら若き某大学の女性講師の方の日本語はとってもきれい。
嫌みのない敬語、相手を思いやるさり気ない言葉
久々に日本語をきれい使うことが身に付いた 方に会い、
言葉にたいする意識をもっと持とうと改めて感じる。
いつも話すのではなく、しゃべることしかできない私にとっては目から鱗。
言葉は言動に現れるものなり。
言動も言葉に現れるものなり。


11月8(木)
寒くなるとぬくぬくと部屋の暖かさだけで幸せを感じる。
本を読みながら、伸ばした手の先にあるカップを口に運び何の液体も出てこないとき、
カップの底を恨めしそうにながめ、なにか損をしたような気分になる。

最近ちょっと困ったことがある。
いつもはコーヒー豆の挽いたのを買ってくるが豆を頂いた。
それも美味しいと信じて疑わないコスタリカ産。
でもでも、ミルの持ち合わせがない。
以前から欲しいと眺めては「今日こそは買おう」と思うのだが・・。
手にとって、こんなところに豆を入れてうまくいくんだろうか、
ひいたコーヒーが小さな引き出しの角にくっついて、
もっと違うのがあるんじゃないのと首を傾げて帰ってくる。
愛飲人口も多いはずなのに驚くほど種類が少ないのもおかしい。
「まぁだ買ってないの!ああいうのはね、心にゆとりのある人がゆっくりゆっくり挽くもので、
せっかちの人には向かないと思うよ」家人3の言うことにも納得だけれど。
帯に短しタスキに長し。願いをクリアーしたのがないものか。
豆が飛び散らず、挽き方調節あり、保存容器付き、値段も手頃。
保存できるのを見つけ、しめしめと思いきや、その保存容器が取り外せなかったり、
取り外せてもせっかくのコーヒーをこの瓶に保存されるんじゃね、と思うものや。

ミルを探していて、ごますり器を見つけ買ってしまった。
これが使い勝手が悪く1度で出番がなくなった。
そんなこんなで、私はいったいどんなミルを手に入れることができるのでしょうか。
湯気の向こうに、ちょっとした楽しみがある。


10月23(火)
残念ながら、マリナーズはヤンキースに勝てなかったけれど充分楽しませてくれた。
今年は、ニューヨークに元気が出れば良しとしよう。

どんより空から雨がパラリ、昨日のほっとするような暖かさは何処へやら。
こんな日は映画を見るに限る「コレリ大尉のマンドリン」。
相変わらずニコラスケイジのちょっと猫背のイタリア大尉は優しさがにじみでている。
大尉のマンドリンは心に響くけれど、戦はどんなときも人生を変えてしまう。
大尉と恋に落ちる娘のお父さんジョンハートがいい味出してるのよね。
ただ、この時期戦争物は本当につらいものがある。
先日見た「ブリジットジヨーンズの日記」は30代の独身女性が見れば共感するところがあると思うよ。
「千と千尋の神隠し」も楽しかった。
外が寒くなったら映画三昧もいいかもね。


10月16(火)
PCのご機嫌斜めというわけではないんだけれど、こんなにご無沙汰してしまって。
とにかくやらなければならないことが押し寄せて、余裕がなくなってしまって。
それがもろに顔にでちゃってね。まわりの友人が大人だから助けられてます。
もう少し器の大きい人間になりたいぃと言ったところで・・。反省しきり。

人生始まって以来の衝撃テロ(9/11)報復攻撃で平穏な日々が取り戻せるわけでもなく、むなしい気がする。
日本にも昔は仇討ち法なるものがあって、「ちちのかたきぃ〜」と刀を振り回していた。
その時代とちっとも変わらない。
それどころか、罪のない人を巻き添えにして、やりきれないことおびただしい。
そんな中でイチローと佐々木の活躍で朝からテレビにくぎ付けになる。
お願いだから、マリナーズがワールドシリーズで優勝して!!
アメリカでは生活の一部のようなベースボール。家族で楽しんでいる様子が伝わってくる。
よく飲み、よく食べ、よく踊り、観客の姿を見るのも楽しい。
日本の画一的な応援は疲れるわ。


10月9(火)
7.8日と道南に行って来た。

岬の麓に古い小さな雑貨屋がある。
始めて父と来たとき、父は当然というようにその店の引き戸を開け、花と線香を買った。
「行ってらっしゃい」、振り向くとおばさんが外に出て我々を見送っていた。
父は先頭になり、少し得意そうに山に向かった。
子どもの頃、父は何度となく母親と来たに違いないと思った。

あの時、その父がしたように、夕暮れ迫る店先にある花と線香を買い求めた。
「行ってらっしゃい」お店の娘さんの言葉に、ふとなつかしさを覚えた。
水を汲むために、すぐ先のお寺へと急ぐ。
前に会ったことのある灰色の太った猫が、
窓辺の棚にのぼり薄暗い家の中を覗いていた顔をこちらに向けた。
作務衣を着た人に会釈をし、桶と柄杓を借り、水をこぼさないように運んだ。
道路脇のポールと、アスファルトに「立待岬」と色塗りしたのを目印に海に向かって下りて行く。
いつ来てもこうだと思いながら、道なき道を、よそ様のお墓をジグザグに通り抜けながら探す。
「よく来たね。あんたらしいよ、時間なんか気にせずやって来て」そういうに違いない。
見おろす海はだんだん黒さを増し波の音が高まり津軽海峡の風がロウソクの火を拒んだ。
「遠くてなかなか行けないから札幌にお墓移したらわ」「どうせ近くても行かないだろう」父との、
そんなやりとりを思いだした。父と母の思い出の地なのに身勝手なことをいってしまった。
子守歌のように波の音を聞き、イカ釣り船の灯りを見、かもめが群れる安住の地。
今年も来れてよかった。
「街路灯2つ目だ、2つ目」そう家人1が叫んだ。
うなずきながら函館の夜景を見ていた。


8月25(土)
よく遊び回った8月も台風一過秋風に変わり、街路樹のナナカマドが色づき始めた。
7月末の3泊4日の道東の旅から始まり、ニセコ1泊、稚内1泊、大滝の温泉、近間の日帰り温泉行脚と
振り返ってみると 11ヶ所の温泉を巡ったことになる。
その中でも変わり種は知床半島、羅臼の熊の湯。
せっかく来たんだから見るだけではつまらないと、
川のせせらぎを聞きながらの無料の露天風呂にはいる。
女性の方はなんとか見えない程度に粗末な囲いがあるが、
男性の方は国道から川向こうにちらほら見え隠れする。
名前のごとく熊とご対面しても不思議じゃない。まさしく自然の中にどっぷり浸る。

残念ながら、入り損ねた温泉がある。ウトロのカムイワッカ湯の滝。
知床でも一番の大きな滝は、観光船上から眺めたが、
その上流にある温泉は国道のどん詰まりにある。
岩を伝い流れ出した湯の中を沢登りよろしく草鞋を履いて20分程登るらしい。
ところが、登り口に着いたときは夕暮れが迫り、後ろ髪引かれる思いで断念。
せめて、手だけでもと浸けてみると、うぅーん確かにぬるい温泉。
ついでになめてみると舌先がピリピリするような酸っぱさがある。
一風呂浴びて湯の中を下りてくる人に聞くと「今日はこのとおり混でて、
もう一つ上のに入ってきましたぁ。
泉質は酢ケ湯の温泉に似ていますよぉ」とつるりとした顔を向けた。

楽しみは先に延ばしてっと。いつかきっとまた来よう。


7月15(日)
のんびりしていたら雲行きが怪しくなってきた。
家人3の起きるのを待っていては、昨日から始まった焼き物市も終わってう。
江別駅前のコミュニティーセンターを中心に、道内の作家からサークルの人達まで300以上の出展になる。

これと思う物を手にとって感触を確かめ
、載せたときのイメージを思い、ひっくり返して値段を見ての繰り返し。
「これは似たようなのが家にあるし、しまう場所を考えると・・うぅ〜んダメかな」
そして、たくさんの出会いの中から「これは絶対欲しい」と思うものに巡り会ったときのときめき。
ちょっとだけ目の色が替わって「まけてくれる?」なんて言うのも忘れて熱くなってしまう。

それでゲットした目玉が、なんということはないカレンダー。
長さ40p高さ3〜4p奥行き4p程の細い口がすぼんだ歪な箱形。
全面に1〜16裏面に17〜31までの数字が彫ってある。
細長い箱形の溝の中に三角形の小さな破片が入っていて、
三角形の頭に革ひもが付いて、 それをつまみ上げて日付を移動するという代物。
写真なんか立ててもおもしろい。
釉薬を使わず黒ずんだ素朴さに参りました。

雨が落ちてきた。 茶碗2ヶとカレンダーを抱え「さあぁ帰ろうか」
もう来年の狙い目もしっかり見定めてきた。

帰ってからもしげしげと眺めてなんてユニークなと笑みがこぼれる。


7月1(日)
前日からの雨も青空に変わり待望の演奏会日和。
昨日、いわみざわ公園野外音楽堂「キタオン」のこけら落としに出かけた。
志文の丘に5,500人が集まり美しい音色に聞き入った。
モスクワ放送交響楽団(ウラディーミル・フェドセーエフ指揮) 祝典序曲「1812年」
「くるみ割り人形」「交響曲第5番」。
まろやかで心のひだを震わせる繊細な響き、そして力づよく、
吸い取るように体いっぱいに広がる心地よさ。
思わず立ち上がり「ブラボォー!」

午後4時開演。
1時間もすると強い陽射しがそよ風に変わり、そのあと上着が必要なほど肌寒くなった。
終わると、余韻もそこそこに車に戻りヒーターを入れて「いやぁ〜久しぶりに、良かったねぇ〜」と。

以前テレビで見たベルリンフィル・サマーコンサートを思い出した。
ベルリン郊外のワルトビューネの森に2万人が集い、たしか小沢征治の指揮だったと思う。
明るいうちに始まり、演奏終了の時には闇に包まれていた。
陽が落ち出すと、それぞれにトレーナーを着込んで、
最後のラディツキー行進曲は総立ちで手拍子と口笛、指笛、線香花火やロウソクと、賑やかだ。
心から音楽を楽しんでいた光景を見て「えぇっ、こんなコンサートもあるのか」とおどろいた。
子供たちも肩車をしてもらったり、音楽に合わせ体を動かしている。
なごやかな同じ時を共有してみたいと思った。

「キタオン」もワルトビューネの森のようなサマーコンサートが
恒例になればまた楽しみも増えるのにね。


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