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21世紀つれづれに
 

2002.1.〜2002.12


12月9日(月)
とうとう真冬日がやってきた。
テレビで関東地方の雪の混乱を見て、「良かった、すぐ帰ってきて」
ゆっくりしていたら今頃はまだ帰宅できなかったかも。
神宮外苑の銀杏並木が葉を落としながらもまだ美しいじゅうたんを敷きつめていた昨日、
今頃は雪まみれで無残な姿をさらしているのでは。
ひとつの目的だけに行ったのでそれが終わってすぐ帰ってきてしまったけれど、
のんびり道草して帰りたかった。
相変わらず羽田のエアドゥは一番端っこでバスに揺られて「さあ最果てに出発」という気構え。
試されているんだねぇ。


神宮外苑銀杏並木

11月16日(月)
朝、外を見るまでもなく部屋が明るいので降ったなと思った。
うっすらと地面を覆い少し華やいでいた。
いつ雪が来てもいいように、準備は整えておくが・・。
初雪があると俄然「履き替えたの」「様子見てね」「国道は大丈夫みだから」「昼間はね」と
スタットレスの話しで持ちきりになる。
早々に取り替えてあると何はともあれ一つ悩みは解消する。
次ぎに庭の雪囲いである。
今年のように雪が早いとまだ咲いている花までも震えあがってしまう。
それでも鉢植えにして家に入れるものは所狭しと部屋に並ぶ。その他は冬囲いが必要だ。
それと漬け物である。
昔程でもないが、なにがしか漬ける人が多いが、我が家はお相伴に預かるのみ。
そう、もう薄いコートでは間に合わない。車での外出が多いとつい衣替えも遅れがち。
第一足元が危ない。
じゃぶじゃぶ路面、つるつる路面、雪深路面と道路状態で靴も考えなければならない。
ドアtoドアだといいけれどそうもいかないこともある。
ということで玄関は靴であふれてしまう。
ひ弱な家人3は「雪が降らないというだけで悩みの半分は解消されるね」と言う。
そのとおりかもしれない。
ということで冬将軍様は来てしまった。

雪の降る前に家人1が熱心に庭のあちこちの木にトウキビをぶら下げた。
初めは警戒しながら寄ってきたスズメたちも今じゃひっきりなしにやってくる。
朝は集団で賑やかだ。
ついにアカゲラがやってきてカメラさがしにおおあらわ。
間近で格好のバードウォチイングができる。
三脚を立ていつ現れてもいいようにカメラをセットした。
待つとなかなかお出ましにならない。
ということで冬の楽しみもちゃっかり見つけだして・・。


11月15日(日)
食事の支度をする度に困ったことが発生する。
居間と台所がワンフロアーの我が家。
臭いが拡散しないように大きめのフードがついている換気扇。
昔の家だからひもを引くとすかさず威力を発揮するが、最近終わりがいけない。
みんなが集まりだして、いざ食事となっても止めたつもりの換気扇がまだ活動している。
いつまでもそうしていると暖かい居間の空気が吸い取られてしまう。
スイッチがびくともしない。まったくとばかり何度も試みるがいうことを聞かない。
こりやだめかもね。最後にはコンセントを抜いてみる。
しめしめ。ところがシャッターは全開で電源カット。
中途半端はいけないね。そこからスースーと風がくる。
それを見ていた家人3、やり方が悪いという。「そんなに強引にひっぱったらダメさ。
換気扇だって生き物だからね、ご苦労様、と思ってゆっくり心からありがとうの気持ちでやるんだよ」
やってられないぃ、と思えどもやっぱり止まって欲しい。
「換気扇さま、ご苦労様、お仕事は終わりですよ」ゆっくり引くと、
あら「はい、わかりましたよ」と静まり返った。
「でしょう!」
今、お役目ごめん、なんて言ったら怒るだろうな。
もうしばらくおつきあいしよう。


8月14(水)
パンが大好きで、1日に1度はパンが食べたくなる。ちょっと堅めのがいい。
最近とっても気になることがある。
ハエである。
手を伸ばした先に小さな虫が飛んでいる。
ブルーベリージャムの上にかけてあるセロハンの中にまで入り込んでいる。
手で払っても相当数いるようだ。「これは食べられないわぁ」
店の奥からパン職人が出てきて 「昨日からそうなんですよ。
輸入した椰子の実がそこにあるものですから、あそこから来るんですね」 指差す方を見ると、
くだもの売場に場違いのように椰子のみが積んである。
冗談じゃない!
どこから虫が飛んでこようが昨日から判っているのなら何とかすればいいじゃない。
今時こんな無神経な!自分で焼いたパンでしょう。 平気なの!!

もう1軒も大きなスーパーの中にあるパン屋さん。
大きなハエがいた。
追い払えばまた次のパンへと飛び移り、 追いかけ廻す私は何とも滑稽かもしれないけれど、
何とかしてよ。
他には客もなくレジのお姉さんは知らん顔。
私がもしパン屋さんだったら1日中でハエ捕りに専念しているかもしれない。
あぁあ、パン屋さんでなくて良かった。
大好きなパンだけに腹だたしくもあり悲しい。
どうかパン屋さん、ハエにはご注意を!

ちょっと遠いけど、製粉工場に隣接する小さなパン屋さんで買うことにしよう。
ハルユタカという北海道産の小麦を使っているというのも嬉しいから。

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8月13(火)
ケセラセラが信条だから思い悩むことはないのだが、
どうしてこうもHPを更新できないのかと思う。
いいやぁ、明日にしよう。明日が明後日とズレズレで気がつけば夏も終わりとなる。
急に時間が早まるわけでもなく「自然体で良いのよ」・・・。
それにしても夏の太陽はいったいどこへいっているのか。
袖を通さなかった夏服の数々、出番のなかった蚊取り線香、
ところてんも冷や麦も口にせず、 かき氷なんてもってのほか、一度くらい海にも行きたかった。
街路樹のナナカマドが真っ赤な実を付け「やっぱり夏はもう行ってしまった!」

7月末、野付半島で観光船に乗りアザラシウォチングをしていたら、
すっかり身体が冷えてしまった。
温泉に入ろうということになる。
80キロ先の知床半島羅臼側の行き止まりにある相泊(アイドマリ)は無料の露天風呂。
波が高いとはいれないらしい。
3方と天上に囲いがあるが海に面した方はオープンで真ん中に男女の仕切がある。
さてと、水着がないけれど大丈夫だろうか?
こんな大自然に抱かれた温泉に入らないなんて悔いが残る。
と思う間もなく湯船の中で「あ〜ぁいい湯だぁ」と海を眺めている。

たった3人しか入っていない女湯。みんな旅人、それぞれに幸せそうな顔。
「セセキ温泉は今日はぬるくて入れなくて・・」男湯からも温泉情報が聞こえてくる。
上がると潮風が心地よい。
長居をしていては、せっかく暖まったのに冷えてしまいそう。

あれから最果ての地は夏らしい夏はあったのだろうか。

今こうしていても窓を閉め長袖を着ていても肌寒い。
部屋の戸もを閉めた方が暖かいかなと思ってみたり。
あの露天風呂のぬくもりがなつかしい。
相泊の露天風呂と共に今年の夏は過ぎていったのです。

知床半島・相泊温泉。羅臼から23キロ。
青いシートが露天風呂・波が高いとぬるくて入れません。気温16度、雲がたれ込めていました。


6月7(金)
ついに札幌でのイングランド対アルゼンチン戦に決着が付いた。
どちらかというと
アルゼンチンが勝って経済的に厳しい国の状況を気持ち的に楽にしてあげたかったけれど、
いたしかたなし。
国を挙げての熱狂ぶりに感心してしまう。といっても日本だってしかり。
4年前のドーハの悲劇は今も脳裏に焼き付いているし、どんなに落胆したことか。
普段はたいしたサッカーファンでもないけれどW杯は別。
勝ち点1をあげた日本だって対ロシアには是非勝って欲しい!
とにかく動きが華麗でスピードがあって神がかり的なことが起きたり、目が離せない。
テレビにくぎ付け。

ニヤニヤとご帰宅で、研究熱心なのか、まぐれなのかよく祝杯を挙げる率が多い家人1。
感ピューターならぬその日の気分と情けでつい我を忘れ
「代えるなら今のうちだよ」と職場にまで メールでプレッシャーをかけ
混乱に付け入ろうとする家人2。
たくさんのブレーンをかかえ巧みにご意見を伺って、
こっそり統計なんかとって臨む家人3。
三者三様で力が入る。
昨日同様頂とばかり、はじまる前から飲めないのも忘れて
美酒に酔い肝心の試合を見逃す者まで出現。
家庭内トトも疲れるわ。
負けが混んでる身としては、そろそろ作戦を変えて勝ちにいきたぁ〜い!!

それにしてもベッカムの勝利のインタビュー、強いベッカムとは対照的に、
意外にも子どもっぽいしゃべり方。髪型はいいけれど。


5月12(日)
潜んでいた本来の飽きっぽさが顔を出し、更新しなければと気にしながらも、
ついゲームなんかやりだすと「まあいいかぁ」とこうなる。
本当にご無沙汰です。
いろんなことがあった割に、たいしたことでもないような・・。
連休もよくこんなに出歩くと思うくらい家を忘れがち。
でもでも、哀しいさがで夕食のご飯作りだけは怠りなく我ながらご立派と思う。
出来はどうであれ・・。
作ったメニューをデジカメで写してUPしようかと2、3日やってみたけれど、
楽しさを通り越して義務感でやることになったらつらいものがあると思いやめにした。

昨日、新聞で寿都町のカキ祭の記事を発見。
これは行くしかない。
町内の花壇の掘り起こしをさぼるわけにもいかず、さっさとやり終えて出発。
市販より2割は安いとあって駐車もままならず大混雑。
保冷剤を入れて3時間の道のりを帰ってきた。
今夜のメインディシュはもちろん蠣。
ちょっとふたが開いたところをこじ開けてそのままいただく。
本来の蠣の味を壊さないためにレモンもお酢も御法度。
しばらくぶりの蠣三昧。
昨年末の佐呂間の蠣以来だから久しぶりだ。
これも朝とったものを夕食に食べたが美味しかったぁ〜。
佐呂間のは不揃いだけれど味がまろやかで我が家では一番人気。
風邪の熱っぽさも吹き飛んで、しあわせな1日となった。
ごちそうさま!


4月9(木)
OBの会とでもいうのか、メンバー6人が三々五々午後、
温泉付き美味しいものが食べられる某所に集まった。
血液型がO型とB型しかいないのが不思議だ。
なんといっても気心が知れている気安さと、自然体でいられるのが嬉しい。
飛行機でやって来る人に合わせてお声がかかる。
それなりに問題を抱えているから、
それについて口角泡を飛ばしてアドバイスならぬ結論など出るわけがない話しをしている。
その中でも今回の圧巻は、
何度聞いても普通の人には理解できない莫大な相続税を払うため裁判所がよいの彼女。
今度会ったときは上手く解決しているだろうか。
会話が途切れることはなく、結局どんな時もみんなプラス思考で幸せを確認する。
命の洗濯をして、みんな元気になる。

帰宅したらアマゾンから頼んでおいた
「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」が届いていた。
最近、会う人ごとに自分の話ばかりしている人が気になっていた。
決して嫌ではないんだけれど、もしかして私もそうなのではと思う。
この本を読むと何か手がかりがあるようで楽しみだ。
お互い、よくしゃべってきた1日だから。


3月7(木)
春はそこまで来ているのに何をそんなにちゅうちょしているのですか。
一気にいってください。誰もが春を待ちわびているのですから。

4日の北海道新聞「がんの母、娘に時間を残して逝く」の見出しに目が止まった。
癌と告知された母親が、これから結婚して子どもを産むであろう娘のために
時間預託のチケットを残して この世を去った。
会員制で介護に関わった時間を貯金し、
家族が必要になったとき貯金の時間に応じて介護を受けられるという互助制度。
病んだ身体で老人の通院介助ボランティア5回分で得た3,2時間を
「娘の出産の時、私はいないから」と命を削って時間を残し、1ヶ月後逝ってしまった。
そこまでしなくてもと思うけれど、
そうしなければならない子どもを思う母親の気持ちが痛いほど 伝わってくる。
娘を残して逝く心残り、何もしてやれない無念さ、 それらを冷静に受け止め、
かつ今できる精一杯のことをして「ありがとう」と言えるなんて、真似のできないこと。
3,2時間に凝縮した母の愛に、涙してしまった。

もう随分昔のことになるが子宮がん検診を受けた。
結果が思わしくなく再検査になり、もしこのまま入院にでもなったらと思った。
慌てて雑巾を何枚か縫った。
なぜ雑巾かというと、そのころ娘の通う小学校では
時々掃除用の雑巾を持ってくるようにと言われることがあった。
とっさに、そのことが頭に浮かび、
娘だけが雑巾を持参できなかったらと思うと哀しくなった。
今思うと可笑しい気もするけれど、そんな些細なことを心配していた。

ついでにもう一つ。
乳ガンの疑いあり。それも千人に一人の割合の珍しいものらしい。
専門医の切りますよと言わんばかりの目に観念していた。
病理検査のための摘出手術をするまでに1週間。
もし本格的なことになるとしばらくは手も挙げられない。
融けゆく残雪を惜しんで、
翌日からせっせとクロスカントリースキー通いがはじまった。
ストックも持てなくなる。
思う存分森の中を駆け回り、悔いは残らなかった。
検査結果は良性。
母の愛はどうしたの。

2月13(水)
予期できないことが起こるものだ。
「ウォザースプーンだってころぶことだってあるでしょう」
そう言ったとたんにそれは現実のものとなってしまった。
あってはならないことに思わず驚きの声が出た。
早起きをして目にした光景に眠気も吹っ飛び家人からは
「念力をかけたんじゃ、ウォザースプーンに一生恨まれるわ」
目がうつろの彼が可哀相で4年間を不意にしてしまったンだから。
みんなに金メダルをあげたいけれどそうもいかず・・・。

とにかく予測のつかないドラマにはどんな台本より感動を与えてくれる。
それが4年に1度のドラマの中に、
参加する人のそれぞれがまたドラマを持ち、見る人がまたドラマを作る。
人生の中で死にものぐるいで何かに取り組んだことがあるだろうか。
残念ながら「NO」 ぬるま湯の中につかっている生活だもの選手のひたむきさ、
頑張りには感動するんです。


2月8(金)
しばらくぶりで総合病院に行くはめになった。
駐車場も余裕があり案外早く終わるかと待合室に入って甘い考えだと分かった。
細長い待合室が、
まるで映画のバックを絵で描いて人混みに見せたようなよくできた 風景のように、
待っている人が微動だにしない。
出した保健証を帰してくれるのに30分。
問診票を書くために呼ばれ、
更に30分後まだ肝心の先生の顔も拝見しないまま
「痛いところをレントゲンとります」 レントゲン室前で待つこと30分。
また整形に戻って30分。
「骨には異常ありません、俗に言う50肩ですね。
注射と薬を2週間分出します。
痛みが取れなければ2週間後に来てください」
「あのぉ〜動かしたほうがいいのでしょうか?」
「痛かったら動かせないでしょう」
「動かせないないほど痛いわけでもありませんし」
「じゃ動かして構いませんよ」
「でも50肩ってほっといても治りますよね」
「治るけど時間がかかるから、 痛いの我慢することもないでしょう。そのために病院があるのですから」
「はぁ〜、 2週間後、少しでもよくなっていたら来なくてよろしいんですね」
「自分で判断して痛くなければいいでしょう」 先生自らブスリと肩へ。
この間5分。院外薬局で待つこと30分。

『作家の五木寛之の書いたものの中に科学は常に両刃の剣である。
医学の技術の進歩によって救われた命と、それによって失われた命とどちらが多いか。
5分5分だと思う。医学が作り出す病気も少なくない。安易に病院に行くことはない』

きょうのは安易だったかもしれない。何のために病院に行ったのか・・。気休め!
動かした方がよいのか、暖めるのか冷やすのか、これが聞きたかった。
薬の副作用でやけに眠気が襲う。

寝るとしよう。


2月5(金)
寒い時は温泉に限る。
温泉を選ぶ基準としては露天風呂があること。
安いこと。冬は近間であること。あまり混んでいないこと。
露天風呂からの眺めが良ければ言うことなし。
この辺をクリヤーしていれば、まあいいか、ということになる。
きょうの温泉はこの中の3つをクリヤーしていたけれど、もう1つ大事なことを忘れていた。
そこに集まる人の雰囲気、マナーが最も大切なことかもしれない。
そのことに今日は気づかされた。
日曜日は混雑するが「ちょっとお借りしていました
「直ぐ終わりますので」の一言で どうぞという気持ちになる。
当然のごとく割り込んできたり、お湯を出しっぱなしにしていたり、
使ったものを散らかし放題だったり。 子どもにもちゃんと入り方を教えなくちゃ。
要領よくちゃっかり組が勝ち、なんてことだったらのんびりしてはいられない。
それにしても大寒の露天風呂は顔が、冷たぁい。

ところで、混浴のすすめの本が出ている。
見ないこともマナーの一つというが、それはそう。
女湯でも人の身体をじろじろ見ることはないけれど、だから混浴でも同じとは言えない。
今までの習慣でやっぱり落ち着かない。
見たくもないし、見られたくもない。
何もかも解放し、よりリラックスできると著者はいうが、
年々混浴できるところは減っているということはどういうこと。
表向きは男女別々でも「こちらは混浴です」というところは確かにある。
超有名な温泉ホテルでも、浴室に階段があるので、
お掃除のおばさんに聞くと 「行ってみてごらん、今誰もいないから」
言われてちょいと拝見。フラットな屋上に湯船だけがあり入り口は別々。
なるほど、こうなっているのかと妙に感心してみたり。
これは「あずましくないわ」(北海道弁)


1月8(火)
謹賀新年
2002年はどんな年になるのか目がはなせないけれど、
結局小市民としては 心穏やかに過ごしたい。
と言っている矢先からよろしくないスタートを切ってしまった。
昨年暮れからの降って湧いたような持ち越し懸案。
これが至って腹立たしく、我が家を恐怖に陥れて、
「みぞの」の鏡にでも正義の味方でも写しだし、
どうぞ皆様ご自由にご覧下さいと言ったところで・・・。
「早期解決に向けてお願いします」と初詣でつい祈り倒した。
それが負担になったのかおみくじは「中吉」。

この季節には珍しく、雨交じりの雪。重たいことはなはだしい。
ところが、木々につく雪の量が多いせいか墨絵の世界。
その時々で美しいものを眺められるのは幸せ!

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