戻る

21世紀つれづれに

2003.1.〜2003.12


12月13日(土)
最近どうも頭が回らない。
肩こりもそうだけど脳の細胞が毎日音を立てて崩れるのが聞こえてきそうな。
「バカの壁」を読んでもちっとも頭に入らず。

先日のコラムに風邪のワクチンの話が出ていたけれど、それなどは未だに理解できず、相当のものかもしれない。
ワクチンは有効率が70%というのは
「100人に打てば70人にはかからない」のではなく、
「接種を受けず発症した100人のうち70人は接種していたら発症を免れた」とあるこの文章。
脳みそが溶け出しそう。

おしゃべり仲間と南幌温泉に行く。
よどみなくいろんなことをしゃべり、いろんなことを聞く。
たった4、5人でもどうしてこんなにも大なり小なり事件(?)が起きてるんだろうか。
それも家庭の中で。
小津安二郎監督生誕100年で、家庭の日常をさりげなく描いた映画が再び注目を集めている。
当時、貧しい中にも家庭を中心に社会が回っていたいたような気がする。
今は家庭が社会の中で撹拌されすぎて形がなくなりつつある。
こんな時代を小津監督はどんな風に作品に仕上げるだろうか。
見てみたい気もするが。

映画ついでにもう一つ。
「ラストサムライ」を見た。
時には笑ってしまうけど、細かいことは気にしないで見るべき。
戦う場面は凄まじい。
時代がそうであったにしても、昔も今も殺しあう場面を見て楽しいとは思わない。
弓矢と鉄砲の戦いは、イラクでゲリラと戦う日本の自衛隊がダブって見えて仕方がない。
小泉さん、見たほうがいいよ。
ブラボー武士道なんて叫ばないでね。


0月26日(金)
もう1週間も前に雪虫に会った
。雪虫を見て10日後には雪が来ると長年生きている人が言っていたのを思い出す。
間もなく来るのだろう、白い使者が。

丁度1ヶ月前十勝沖地震が起きた。まだ行方不明者がいるが、のどもと過ぎればの感がある。
ということで、「DIGを学ぼう」と2、3日前からの腰痛を押してワークショップに参加した。
DIG(ディグ)とは防災訓練の一つです。
Disaster(災害)、Imagination(想像)、Game(ゲーム)
の頭文字をとって名づけられ、
簡単に言うと災害発生を想定し、災害の状況、救援のあり方をイメージトレーニングにより
自主防災意識を高めようとするもの。
グループ毎に議論をしながら地図に書き込みハザードマップを作り地域の防災を考えることになるのです。

なかなか面白いもので、起きた時にあわてず行動できるようになると思いますよ。
行政も一緒にすると尚効果的で、繰り返しやることも必要。
あなたの街でもやって見ませんか?

今日は北海道教育大学函館校の佐々木貴子先生が講師でした。

9月26日(金)
夢の中かと思いつつ、いやいや揺れてる。
そのうちに治まるだろうと・・.・・。そう思えた瞬間飛び起きていた。
横揺れは確実に大きくなりだした。
一番心配な家人3の名前を呼びながら階段を駆け下りた。
家人3は、いつもののったりぶりとは違い、すばやい行動ですでに居間にいた。
そして玄関の戸をあけ始めた。
ただガチャガチャさせているだけでいっこうに開かない。
たくさん着こんで現われた家人4。
最後に現われた家人1は服を着ている。
家人2と3はパジャマ姿。
何事も無くてよかった。
そのうちに治まって、一息ついてテレビをつける。
震源地と震度を確認して再び布団にもぐりこむ。
めまいがするような揺れ方に気分が悪い。

ラジオを聞きながらうとうとしていたら又だ。
ゆさゆさと音つきで揺れている。
もしかしたら・・・・・家が壊れるかも?
今度は、家人1を呼びながらガウンを着た。
(家人1の応答がなかったのは、たんすを押さえていたためだという)
階段の手前で揺れがひどく、しばし柱につかまる。
やっぱり下敷きにはなりたくない、玄関に直行。
何やら後ろでガシャンと音がする。
結局外に飛び出したのはパジャマとガウンの家人2と3。
ちゃんと着込んだ後の2人はどうしたのだろう。
「たいへん。シャンデッリア落ちてるわ」家人3が叫んでいる。
さっきのガシャの意味がわかった。
居間に入る気がせず「ひどいわ、粉々」という声を聞く。
恐る恐る天井を見ると4つのうちの1個がなくなっている。

よく見るとその1個は1週間ほど前、蛍光灯切れで付け替えたものだった。
それも家人1が治してくれた。
帰宅して珍しくやってくれてと思ったが
「ちゃんとネジ締めてくれた、落ちたらたいへんだからね」と私。
「大丈夫!心配要らないって」といつになく自信たっぷりに言う。
家人1は決して器用じゃないことが頭をよぎりいやな予感がした。

「あぁ〜やっぱり」
テーブルの角に直撃し見事に部屋の隅々まで飛んでくれている。
こんなに粉々になるものかと思われるほどにじゅうたんはきらきら光っている。
よく見るとテーブルにガラス片が食い込んでいる。
皆で、はいつくばって破片を集め掃除機を掛ける。
「あれだけ言ったのに、いつもこうなんだから」文句たらたら。

でも部屋に誰かいたら大惨事になるところだった。
そう思ったら、不幸中の幸いで「しかたないっか!」このくらいで済んだんだから。
阪神淡路のことを思ったら・・・・・。

地震発生4:50 震源地 十勝沖 40キロ マグニチュード8、0 震度6弱 当地震度4 

さあ、逃げ道を確保して寝ることにしよう。
それにしても我が家の住人の性格がより鮮明に位置づけられた瞬間だった。
              

6月27日(金)
ちょっとサボっているうちに夏になっていた。
とはいえ今日1日窓を閉め切って(クーラーがあるわけじゃない我が家)
長袖を着ておまけに靴下まで履いて。
1ヶ月以上の投げやりに今日の気温だけはサボりをカモフラージュしているようでいいな。

近頃のニュースは「何なの」というのが多く笑わせてくれる。
家宅侵入で捕まった男が走行中のパトカーの窓から逃げたという。
手錠を掛けられているにもかかわらず、どうやって逃げたの?
蛙とびのようにピョンと飛び跳ねてということらしい。
実況見分では、きっとできそうもないと思うよ。実況見分見たいよね。

自民党の某議員が公の場で
「最近の男は結婚を申し込むこともできない。レイプするのは元気があっていい」
なんじゃこりゃ!男が弱々しくなったのと、レイプと比べる自体がおかしいし。
レイプを肯定するようなとんでもない議員がいるとは、即刻くび!!
同じ自民党の某議員が「遺憾なこと」とコメントしていたが、
この議員こそ、人のことを言えた義理かしら。
笑っちゃいました。

でも笑ってはいられない事件が近頃は全く多い。
有名大学の学生がパーティーを開いて女子大生にお酒を飲ませて暴行したり。
道路に寝ていた若者に邪魔だと言ったばっかりに殴られて殺されて。
一家4人を何の目的か殺害されて。
などなど。
人を見たら泥棒と思えどころではなくなてしまった。

こうなったらやっぱり破れ窓方式で警察が緻密に仕事をするしかないかな。


5月4日(日)
近頃はコミュニケーション手段が多くなり便利になったが、
一方通行のコミュニケーションで事足りたと思っているふしがある。

我が家にまさしく間違いと判る某粉屋さんへの発注FAXが届いた。
連絡がない場合は発注したものと解釈すると書かれている。
ほっとくわけにはいかず送信元へ間違いであると添付して送り返した。

ヤレヤレと思っては見たものの、送り返したFAXが間違いなく届いたという確信はない。
相手からは何も言ってこないのだから。
連休に入ってしまって、粉は発送されたかとちょっと心配になる。
ありがとうの一言があれば心配無用なのだが。

前にも同じようなことがあり、そのときは親切にも粉屋に電話して発注伝票をFAXしてあげた。
後でよく考えると、これでは送信元が我が家に誤送信されたことに気づかずにいる。
そのときの教訓を今回は生かした(?)はずだが。
家人2にこのことを話すと、「発信元に電話すれば済むことでしょう」という。
そのほうが心配することもなく一件落着だが。
「電話するのぉ〜」という感じ。
近くならまだしも今回は道内で前回は本州だった。

以前読んだ清水義徳の本を思い出してしまった。
小さな親切で余計な心配をしてしまう小市民の私。

  

5月2日(土)
今年の最高気温で24度になった。
我が家の桜も昨年より1週間早く昼から咲き始めた。
あたりが急に華やかで春っていいなぁ。

先日買った物干し台がピッカと光って目に入った。こんなに天気がいいし洗濯をしよう。
掃除をしながら洗濯機を廻しヤンキース対アスレチック戦をちらちら見て・・・と。
ふと洗濯機の音がいつもとは少し違うなと思いふたを開けてみる。
働いているなと思った洗濯機は音はすれどもフェントをかけていたのか全く動かない。
いったいどうしたというのか。
何度やっても同じこと。仕方がない、洗濯機の中に手を伸ばし手で洗うことにした。
すすぎももちろんだめ。今までのうきうき気分はとっくに吹き飛んでヤンキースどころではない。
脱水ができたのはせめてもの救いだった。
心なしか洗濯物は青空の下でくすんで見えた。

気を取り直して、布団を干す。
「布団が落ちてるよぉ」と。そんなはずはない。
ちゃんと止めておいたのだからと外へ出てみる。
「え〜、ちゃんとあるじゃない」干した時のままにぶら下がっている。
ところが地面に目をやると見慣れた布団がある。
この布団はどこから来たのだろうか。
そうだ! 二階を掃除しながら手の届く屋根にちょっとのせておいたのだ。
『布団が吹っ飛んだ』こんなさむい駄洒落を思い出し、まさしくこれだと大笑いした。
2階からふわりとどんな形で空を飛んでここに着地したのだろうか。
空を飛んでる布団を想像すると楽しかった。見られなかったのがとても残念。
でも、もっと残念で悲しいことに、洗車した玄関先の水溜りの中に着地していた。

春の1日は意地悪でした。


4月4日(金)
春らしくすっきりとした格好で出かけると、体まだ冬バージョンでなじめず、風がいっそう冷たく感じる。
春なのにぃ〜〜。
札幌駅前が装いを新たにした。
大阪の大丸デパートが進出し、ステラプレイス、JRタワーが札幌の顔になって早1ヶ月。
「行ってきた?」と聞かれることが多く、遅まきながら、もうだいぶ空いたかなと思いつつ行ってみた。
見ていると楽しいけれど「よろしければ試着を・・」とすかさず寄ってこられるとのんびり見てもいられず。
「見ているだけ」のステッカーを首からぶら下げていようかと思ってしまう。

今日の目的は東京麻布の「永坂更科布屋太兵衛」のお蕎麦を食べること。
店の外に行列ができている。
おそばは更科も田舎ものど越しはよくおいしかった。
例のそばつゆは甘い汁と辛い汁が付いて好みで割って食べるのだけれど・・。
どちらも味が濃すぎてちょっとがっかり。もっとお蕎麦を引き立てたほうがいいかとも思う。
よくよく味わってきました。
開店早々で忙しいのはわかるけど、そば猪口は水滴だらけ、せいろの周りも水だらけ。
愛想のなさは何なの?

気を取り直して地下の食品売り場を覗いてみた。岩見沢の赤いリボンは行列ができている。
惣菜を買ってちょっと手抜きの夕食にしようっと。

だらだらと歩き疲れて一休みにタリーズのコーヒーを。
多い目の量だったので家まで持って帰って、
お湯を継ぎ足したら元の量になってしまったというくらい濃いものでした。

久々の半日のデパートめぐりは楽しいけれど
札束でも持っていけばもっと楽しいのにと言えば
「今は、カード1枚でいいんだよ」と言われてしまった。
今度は天気のよい日に来てタワーから真っ青な海でも眺めてみたい。


4月3日(木)
やっぱり春はいい。
雪が溶けるだけではなく、今まで寒くて肩をすぼめていたのがその必要もなくなり、
ゆったりと体が溶け出して頭の中ももちろん溶け出して。
おまけに、春の陽気が眠気を誘い、だらりだらりと過ごす1日が、なんとも心地よい。
こんなのって、ただのなまけものかも。
最近どうも時間に追っかけられて「何をそんなに急いでどうするの」と思うのだけれど、
事態は変わらず。

今朝、新聞を読んでいたら、あるボランティアをした人の話が載っていた。
マラソン大会のボランティアをしたが、
とっても忙しくてなんともしんどい思いだけが残ったボランティアだったとか。
余裕がなく、楽しくなかったという。
ところがアメリカでの同じようなボランティアでは
ゆったりと時間をかけてのんびりと楽しんでやっていたというもの。

がんばり過ぎないのがいい。
どうしてもがんばり過ぎてヤレヤレ、終わって見れば燃え尽きて「もうたくさん」ということになる。
その割には厳しい評価が凹みを与え「やってられないわ」ということになる。
次にやる人が現れず。
仕方がない、そこで「ちゃらんぽらんやるよ、期待なんかしないでよ」と手を上げることになる。
そこで周りの人は「えっ!ちゃらんぽらん!」知らんふりなんかしていられないと、
新年度がスタートした。それが我が所属団体である。ふむふむ。



3月16日(日)
雪解けは進んでいるけど風が冷たい。
あのふわっとした真っ白な雪からは想像もできないほど無残な姿をさらして終焉を待っている。
それでも雪の山を崩すと中から春の空気を抱え込んだ真っ白な雪が顔を出す。
今年の積雪ゼロ宣言はいつになるのだろうか。

 「泣けて泣けて、こんなすばらしい映画はない」との某映画評論家の言葉で
「戦場のピアニスト」を見た。
といっても見たのは2月の中ころ。
このところ、ラジオを聴いていると、この映画のよさを盛んに言っている。
史実に基づいての映画で監督もゲットーに居住していて思い入れも伝わってくる。
決してよくない映画ではないけれど、どうも絶賛するほどでもないような気がした。
大変な場面になるとピアニストということでどこからともなく助け舟が現れて収容所送りを免れ、
隠れ家を探してくれる人が現れ、食料を運んでくれ、ドイツの将校に助けられどうにか生き延びられる。
なんて運のいい人なのか。
果たして生き伸びられるのかというドキドキ感はおおいにあるが、
それよりも、もっと違う面でドキドキして画面を静止できなかった。
女、子ども、老人がユダヤ人だというだけで有無をいわずにどんどん撃ち殺されてしまう。
リアルで顔を覆うこと2度3度。ユダヤの迫害の映画はどれもそうなんだけれど・・・。
一番のショックは、食卓を囲んでいるところへドイツ兵が乗り込み
「全員立て」と命じるが、おじいさんは立たなかった。
車椅子に座っているために立てなかったのです。
そうすると車椅子ごと持ち上げ、家族の目の前で、2階のベランダからほうり投げたのです。
もう胸が張り裂けそうで、今でもあの場面を思うと涙が出ます。
せめてものこの映画の救いは、主人公の弾くピアノ曲がショパンのバラードで終わること。
心が静まり「戦争はいやだ」とつくづく感じながら聞き入ってしまう
画面に最後のキャストがでて、場内の灯りが付くまで誰一人席を立つ人はいなかった。
心地良いショパンのピアノ曲をいつまでも聴いていたいと思った。

くしくも今まさに、イラクとアメリカの戦争の行方が最大の関心事になっているが、
フセインとブッシュ2人でやれば。
犠牲者が出るのはまっぴらごめん。断固として!!


1月21日(火)
きのうは大寒
気分的にはもうこれ以上の寒さはないはずだと思うと、
なんだか今日から春に向って時を刻んでいるようで嬉しい。
森の中をスキーで1時間以上も歩き回って、手がこんなに冷たくなったのは久しぶり。
戸外のモノクロの自然の美しさの中にどっぷり浸かって「あ〜しあわせ」。
帰ってきて暖かい部屋に入って熱いコーヒー「あ〜しあわせ」ということになる。

ところがその部屋にあるもろもろのガラクタ?が長年の課題。
整理整頓が出来ない。我が家は誰一人としてそれをうまく処理できていない。
『ガラクタ捨てれば自分が見える』風水整理術入門。
カレンキングストン著。世界14カ国でベストセラー。
「読む時間があるなら片付ければ」ということになるが不思議とそれが出来ない。
とにかく読み進むと面白い。ガラクタはエネルギーの渋滞である。
身の回りの整理整頓をすることで人生の整理整頓を行うことができる。
そして人生に新たなエネルギーが入ってくる。
そういえば、いつもかた付けなくちゃと思い、気にしながら暮らしていたから、
そちらにエネルギーが吸い取られていることになる。
できるところからでいいらしい。
いつか使うかも分からないからとっておく、
思い出の品だからとっておく、捨てるのはもったからとっておく、
理由はあるけど、そうして場所を占領している品々。
捨てるというより、必要としている人に使ってもらう。
私以上に物を溜め込む家人2は
この本を読んで「むなしくなったわ。全部捨てたら自分の存在を否定されているようで」というが、
全てまねすることはなく、できそうないいとこ取りで結構だと思う。
ついでに宿便をとって腸もきれいに、心のガラクタも取り除いて・・・と
ガラクタを処分して物は買わないとなると、間違いなく経済は滞る。
滞ったエネルギーが吹き荒れたらどうしよう。


1月18日(土)
暮らしの中で絶対やらなければならないことを優先させると自分のことは後回しになる。
手際が悪いのか? 価値を見出せないのか? やりたくないのか? 
どれも当てはまるけれど、空気のようなもので、空気がなくなると誰がいったい窒息するのかしら。

お正月は風邪を引いて家にこもっていた。
インフレエンザの予防接種済みだから、違う風邪らしい。
「安い予防接種だったんじゃないの」家人2は言うけれど、
本当に私のしたのは安かった。 家人2の半額だったとは。
聞くところによると、病院によって自由に価格設定がでるらしい。どうして。
普通、病院にかかっても、言われるままに支払って、ちょっと高いんじゃないと思うこともあるけど。
これがもし、
「あそこの病院は安いから行ってごらん、ちょっと腕はどうかと思うけど」なんてことになったら、どう。
「あの薬利かなかったけど、マケテヨ」なんて値切ったりしてね。
明細が分かるようにできないのかしら。 薬代、技術料、消費税とね。

それにしても、ちっともやせることもなく、寒さ対策とばかり脂肪を身にまとってしまった。
恒例の三が日の映画館通いが出来なかったことはとっても残念。先延ばしという手もあるね。



つれづれもくじへ
あいうえOWLへ


Copyright (C) 1998

inserted by FC2 system